2009年07月26日

夢は働かないこと

あなたの目前の夢は? 20歳の63%は「就職すること」
20歳の人にとって、目前の夢は何だろうか? ビザ・ワールドワイドの調査によると、最も多かったのは「就職すること」(63%)、次いで「海外での経験/体験」(10%)、「社会貢献」(4%)であることが分かった。

 「卒業を控える人が多数いる20歳にとって『就職』というのは、目前にある夢であるとともに『なりたい自分、やりたいことを達成する』ための第一歩と言えるかもしれない」(ビザ・ワールドワイド)

http://money.jp.msn.com/newsarticle.aspx?ac=IT20090721035&cc=07&nt=25




僕の夢は就職しないことだった。

だから、こうしたニュースを目にするとほとほと驚嘆させられる。

来る日も来る日も朝から晩まで同じような業務を繰り返し、上司や客のご機嫌取りに血道をあげ、些細なミスも許されず、趣味に傾ける時間を奪われ、家族・恋人・友人すらも二の次にして、一度しかない人生を赤の他人が経営する会社のために消費する……。

どうしてそんな生活を手に入れることが夢だと信じられるのか。

僕にはちょっと、理解に苦しむ。

会社で雇われる以外の選択肢なんて存在しないかのように目隠しをされて成長してきた結果だろうか。

親や教師の言うことを疑ったこともない「真面目」な子供たちは、日々学校で血と肉でできた働く機械になるためのスキルを磨き、大人になった途端会社という懲役施設の中へ喜び勇んで飛び込んでいく。

なんとも嘆かわしい話である。

資本主義成立以来、あらゆる国で繰り返されてきた悲劇である。



ポール・ラファルグの「怠ける権利」という本を読んだ。

彼はマルクスの娘婿で、1日12時間〜14時間労働が普通だった当時において、1日3時間労働を提唱した異端者である。

「怠ける権利」「資本教」「売られた食欲」という三部構成だが、全編にみなぎる労働への憎悪は凄まじいものがある。

このブログに共感できる方ならまず楽しめると思うので、ぜひ読んでみていただきたいものである。
posted at 05:33


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2009年07月14日

労働教

僕は文芸部に所属していた。

狭い部室の一角に、ゲームコーナーが設けられていた。

小さなテレビが2台並んで置かれ、部員が持ち寄ったプレステやニンテンドー64などのゲームがところ狭しと並べられていた。

昼休みや夕方になると、男たちがどこからともなく蛾のように集まってきて、ゲームコーナーは賑わった。

その頃、文芸部の部員は次の3つのタイプに分かれていた。

1つめは、文芸部のくせに小説などほとんど読まず、ひたすらゲームをするために部室に通いつめる者。

2つめは、部室を勉強や団欒、空きコマの時間つぶしの場として使用する者。

そして3つめが、小説を読んだり、執筆したりするために部室を使用する者である。

僕は3つめのタイプに属していたが、これはもっとも少数派であった。


部室は読書の場としては必ずしも良い環境とはいえなかった。

すぐ近くのゲームコーナーではでかい大人たちが絶叫し、身体をぶつけ合い、コントローラを奪い合っているのである。

やけに太った男とガリガリの男が多く、夏場に近寄ると強い汗のにおいが漂ってきた。

よく部室に入ってきた女たちが「くさい、くさい」と喚いて窓を開けていたものだ。


その頃僕は小説で賞をとるために必死で、少しでも時間が空けば小説を読み、バイトの合間をぬって執筆に明け暮れていた。

テレビの前で気ちがいのよう笑い転げる男たちを尻目に、同じ文学を志す友人と議論を戦わせたりもした。

僕にはあまりにも時間がなかった。

なんといっても通常の学業に加え、毎日8時間以上の貴重な時間を皿洗いのために空費していたのである。

疲れ果てた体に鞭打って、夜遅くまで小説を書いた。

僕の作品を激賞してくれる文学教授もいた。

僕にとって小説家になることとは、夢であると同時に、この国の異常な労働システムから抜け出す唯一の道だった。

親の仕送りを受けて、朝から晩までゲームをしている男たちのことを、僕は羨ましく思う一方、軽蔑もしていた。

彼らの人生はそうして暇つぶしをしているうちに終わるのだなと思っていた。



大学四回生の春、僕が部室のパイプ椅子に座って小説を読んでいると、就職の話題が出た。

ちょうどその数日前、大学の近くで合同企業説明会が開催されており、その場にいた僕の同回生は皆それに参加していた。

参加しなかったのは僕だけだった。

周りの人間から、参加しなかった理由を色々とたずねられた。

会社に雇用される以外の選択肢など想像さえしたこともないような学生たちの中で、就職活動に不熱心な僕はあまりにも異端だったのである。

僕は会社のために働く機械にはなりたくないということ、自分の趣味も大切にしたいというようなことを答えた。

すると、それまで背中を丸めてゲームをやっていた僕と同回生の男が、「君ってほんとにダメな奴だよな」と蔑むように呟いたのである。

彼は暇さえあれば部室でゲームをし、コントローラをガチャガチャいわせてけたたましく笑う男たちの一人だった。

「お前に言われたくないよ」と僕は反射的に言ってしまった。

すると彼は、「俺就職するし。もう内定もらってるし」と勝ち誇ったように笑ったのである。

普段は温厚な僕も、このときばかりはぶちキレそうになった。

手に持っていた小説が、力の入れすぎで大きくたわんだほどである。

自分を高める努力など何もせず、ゲームで時間を潰すことしかしてこなかった男が、名もない企業から内定をもらったという、ただそれだけのことで僕のことを見下したのである。

賃金労働者としての身分を約束されたことが、それほど誇らしいことなのか?

ぶん殴ってやろうかとさえ思ったが、怒り出したところで誰にもそれを理解してもらえないことは分かっていたので、黙って引き下がるしかなかった。

今思い出しても腹立たしい話である。


その後、彼は卒業し、僕は大学に残った。

今頃彼は月給20万かそこらの賃金を得るために、来る日も来る日も会社に自分の労働力と時間を提供しているのだろう。

念願の労働者になれて、彼は今満足だろうか?

一度会って訊いてみたいものである。


posted at 03:49


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