2009年03月27日

賃金奴隷

とにかく雇われ店長というものの実態は悲惨の一言に尽きる。
僕の中でなってはならない職業ナンバーワンである。
本屋、ファミレス、カラオケ、100円ショップ……。
どこの店長をみても、何が楽しくて生きているのか分からない人間たちばかりだった。
毎日毎日、起きている時間の大半を狭い店舗に閉じ込められ、客のご機嫌を伺い、会社に決められたノルマをこなすために汗だくになって働く様は、まさしく賃金奴隷の名に相応しかった。

最近まで僕が勤めていた100円ショップの店長は、毎日11時間以上働いていた。
人手不足で休みも月に3、4回しかなかった。
会社にアルバイトを増やしたいと掛け合ったところ、人件費削減を理由に断られたそうだ。
それでも彼は文句を言わず、毎日黙々と業務をこなし続けていた。
よく我慢できますねとある日僕が言うと、店長は笑って「お客さんの笑顔のために頑張るんだよ」と答えた。
一般的な日本人なら、「まあ、何て立派な人なんだろう」といって感心するところだが、もちろん僕はそんなことはなかった。
客が店員に向けるお愛想笑いなど、所詮は意味を伴わぬ顔面の変形に過ぎない。
あらゆる楽しみを失い、赤の他人の顔面を一時的に変形させることが唯一の生きがいになってしまった店長を、僕はただただ哀れだと思った。



その点、カラオケ店の店長はまだ人間らしさがあった。
彼は業務の端々に辞めたい、働きたくない、と誰にともなく呟いていた。
まだ労働を苦痛と感じられるだけの感性が残っていたのである。
店が潰れる2、3ヶ月前に彼は退職した。
退職の挨拶に来た彼の、我々アルバイトに向けた弾けるような笑顔を、僕は未だに忘れることができない。
posted at 14:21


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エントリー:賃金奴隷
2009年03月25日

働かざるゆえに我あり

働かざるゆえに我あり、なんてタイトルをつけてるけど、なんだかんだで最近はかなり働いている(といっても自宅でパソコンカタカタやってるだけだけど)。
月収20-30万くらいを維持するだけなら1日2時間も働けば十分だが、やっぱりこの金額ではちょっと心許ない。
普通の会社員みたいにボーナスなんかないわけだし、年収計算するとかなりしょぼい感じだ。
パチンコで作った親の借金がでかすぎるのも厄介だ。
このままのんびりやってても埒が明かないので、少し気合入れようと思う。
当面の目標は月50万くらい。
できれば夏中には達成したい。

12月→5万
1月→15万
2月→23万
3月→25万(現時点)

ときているから、あながち無茶な目標でもないだろう。
新たな分野にも手を出してみるつもりでいる。

しかし、自分で仕事の目標を決められるというのはいいことだと思う。
労働がまったく苦痛にならない。
努力の結果はすべて収入として自分に返ってくる。
ファミレスやなんかでバイトをしているときは、自分の命を会社に搾り取られているみたいで凄まじいストレスを感じていたが、ネットビジネスを始めてからはそんなこともなくなった。
自分の時間を自分のために使えるというのが大きい。
一日中突っ立って他人のご機嫌を伺わなくてもいいし、囚人みたいに職場に監禁されなくてもいいし、分刻みで自分の時間を会社に管理されなくてもいい。
休みたいと思ったときに休み、眠くなったら眠り、体を動かしたくなったらどこかへ出かける。
これで収入がなかったら駄目ニート扱いされて終わりだけど、人並みに収入はあるんだから文句を言われる筋合いもない。
堂々と胸を張っていられる。

ニートの方のブログを最近よく見るが、劣等感剥き出しで自己を貶めている人が多い。
コミュニケーション能力がなくて働けない、とか、自分は生きるのに向いてない、とか。
ネットビジネスをやってみればいいのにと思う。
別に特別な能力なんて必要ないし、時間があるというのはすごく大きな武器になる。
地道に頑張リ続ければきっと稼げるようになる。
人並みの収入があれば今よりは楽しい毎日になると思うんだけど、余計なお世話かな?
posted at 02:37


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エントリー:働かざるゆえに我あり
2009年03月22日

異端

大学3回生になると、エントリーシートの書き方指導だの、面接指導だの、内定を決めた先輩たちとの座談会だの、就職相談だのが頻繁に行われ、その度に会場はいつも満員だった。
僕は意地でも出席しないようにしていた。
卒業したての学生たちがスーツに包まって会社のもとへ一斉に羽ばたいていく様は、まるでベルトコンベアで箱詰めされた商品が方々に出荷されていくようで気味が悪かった。
例のファミレスのおかげで、僕は完全に労働アレルギーだった。
会社の下で人生の大半を囚人みたいに拘束されるくらいなら死んだほうがマシだと思っていた(今も思っている)。
将来は小説家になる気でいた。
会社の雇用下で行われる労働など僕には何の意味もなかった。

それでも友人に誘われて、一度だけ冷やかしのつもりで面接指導に参加したことがあった。
教室はやはり満員で、並んで座る場所を見つけるのに苦労した。
やがてプリントが回ってきた。
そこには面接の日の服装や、ノックの回数、お辞儀の角度、立つ位置、挨拶をするタイミングなどが、図入りで微に入り細を穿って説明されていた。
僕は少し笑ってしまった。
まるで全体主義だった。
講師はどこかの大企業の人事部の人間だったが、学校を卒業したら会社に雇われて定年まで働くということだけがすべての価値であると信じているような男だった。
自身が学生時代に20社近く内定を貰ったという実績を得意げに語り(他にすることはなかったのだろうか?)、続いて面接官への尻尾の振り方を熱心に解説し始めた。

僕は早々に興味をなくし、持ってきた小説を読んでいた(三島由紀夫だったかな?)。
ふと横を見ると、友人は一言一句聞き漏らすまいというような真剣な表情で講師の言うことに耳を傾け、ノートにメモをとっていた。
他にもあちこちでペンが紙の上を走る音が聞こえていた。
教室中の意識が講師の喋る言葉に集中していた。

ああ、僕はつくづく異端なんだな、と思いながらまた小説を読んだ。
別に興味はなかった。
posted at 14:47


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エントリー:異端
2009年03月21日

万国の労働者よ、怠けよ

ネットビジネスなんかをやっている僕がいうのもなんだが、資本主義は嫌いだ。
金になるか、ならないかであらゆるものの価値が決められてしまう。
テレビも、インターネットも、チラシも、人間の欲望を煽るのに必死だ。
企業は金になると分かれば人間でさえも商品化する。
そして一方、売れないもの、商品にならないものはどんどん舞台の端へ追いやられていく(文学なんか典型的だ)。
こんなシステムの信奉者になることは僕にはできない。

しかし、蟹工船のエッセーコンテストに入賞したと言うとよく勘違いされるのだが、僕は共産主義も嫌いだ。
共産主義は死ぬほど簡略化してしまえば、椅子の上でふんぞり返っている資本家より、実際に働いて富を生み出している労働者の方が偉いという思想である。
いわば労働万歳思想である。

呆れるほかない話だ。
そんなことを言ってるから共産主義は滅んだのだ。
働いて働いて働いて、国民総白痴だ。
自分の国が何をやっているのかも分からなくなってしまった。
働いてる暇があったら学問に励め。
想像力を広げろ。
政治家の嘘を見抜けるようになれ。

労働なんて機械にでもやらせておけばいいのさ。
posted at 15:42


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エントリー:万国の労働者よ、怠けよ
2009年03月19日

労働への憎悪

カラオケで働くことの素晴らしさを述べた。
あれが僕の経験したはじめてのバイトだった。
椅子に腰掛けて好きなだけ本を読み、先輩と馬鹿話をし、揚げたてのポテトや唐揚げをつつき、仕事が終わったらカラオケをする。
それで金がもらえるのだから文句などあろうはずがない。
僕は労働の日々を謳歌していた。
働くことはよいことだった。

そして、当然のごとくカラオケ店は潰れた。
途方にくれた僕は仕方なく大学近くのファミレスに面接に行った。
深い理由などなく、ただ面白そうだったからだ。
10分ほどであっさり採用ということになり、次の日から出勤した。
初めて着るコック服の白さに胸をときめかせながら、厨房へでた僕を待っていたのは、湯と汗の迸る狂気の世界だった。

飛び交う怒声。
駆けずり回るバイト。
渦巻く熱気。
そして皿、皿、皿……。

僕の絶望の深さは想像に難くないと思う。
労働の悦びなどそこには微塵も見当たらなかった。
来る日も来る日も、一日中押し黙って皿を磨いた。
あまりに忙しいせいか、社員やバイトたちはいつも不機嫌だった。
僕が少しでもミスをすればたちまち罵声が飛んだ。
強い洗剤のせいで僕の手は砂壁のような荒々しさを備えた。
ぶつかり合う皿の音が耳に残って眠れない日々が続いた。
目を瞑ると無数の蠢く皿の映像が浮かぶのである。
バイトの前の日はいつも胸が潰れそうだった。

調理を任されたときも喜びはなかった。
効率を求めて極限まで簡略化されたそれは、もはや子供でもできる単純作業でしかなかった。
期待していた調理の技術は全く身につかなかった。
周囲のバイトは常にビデオの早送りのような敏捷さで同じ作業を反復していた。
休憩室では人としての機能を退化させた店長とチーフがよく偉そうに説教を垂れた。

帰るのはいつも深夜の2時3時だった。
徐々に午前中の講義に出られなくなっていった。
単位をいくつも落とし、ついに留年が決まった。
家族や親戚が喚いた。
店長や他のバイトは笑った。

僕はバイトを辞め、後には労働に対する憎悪だけが残った。


posted at 04:40


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エントリー:労働への憎悪
2009年03月16日

労働の悦び

信じられないかもしれないが、実は僕にも働くのが楽しいと思えた時期があった。
カラオケ店でアルバイトをしていた頃の話である。
三階建てで、一階は古本屋、二階と三階はカラオケという構造だった。
店長はカラオケも古本屋も同じ人物が兼任していたが、古本屋の方が忙しかったので、カラオケの方はたいていアルバイトだけで任されていた。

カラオケはとにかく客がいなかった。
一世代前の機器。
すぐにハウリングを起こすマイク。
色あせた壁と綿がはみでたぼろぼろの椅子。
音質の悪いスピーカー。
まずいと客から苦情が来るほどまずい料理。
それでいて料金は他の店と同じくらいとるのだから、客などくるはずがない。
5回客を案内すれば1回はクレームがくるほどひどいカラオケ店だった。

1日の売上げが420円だった日もあった。
レジを清算したアルバイトが、これではあまりに酷いということで、420円のピザを一枚買って帰ったのである。
売上げの平均は日に5000円〜10000円というところだ。
アルバイトの給料のほうが高い。

店長もおらず、客もいないのだから、アルバイトはやりたい放題だった。
僕が初めて出勤したときは、早速先輩からフライドポテトとコーラを振舞われた。
もちろん誰も料金など払っていない。
無断で飲み食いしているのである。

ある先輩は勤務時間中ずっとノートパソコンでエロゲーをしていたし、他の先輩は大量に漫画を持ち込んで読み漁っていたし、DSやPSPが発売されてからはそれが流行った。

とにかくすることがない。
朝に30分ほど掃除をしたら、あとは客がくるまで呆然としていなければならない。
たとえ客が来たところで、部屋に案内したらオーダーでもこない限りもう仕事はないのである。
僕はひたすら小説を読んでいた。

入ったばかりの頃はジュースを飲みまくっていたが、そのうち糖尿病になるんじゃないかと心配になってほどほどにしておくことにした。
暇なので先輩とピザをつくり、その上にから揚げやフライドポテトを山盛りにして喜んでいたら、店長に見つかって冷や汗を掻いたこともあった。

交代の時間以外は、勤務は基本的に一人だ。
僕がたまたま勤務時間外に店に寄ると、先輩がレジの前に突っ伏して鼾をかいていることもあった。
別の先輩はよく近所の本屋までジャンプを買いに行った。
その間店はもぬけの殻である。
さすがに僕にはそこまでする勇気はなかった。

営業時間は深夜の1時までだが、12時半になると面倒なのでさっさと店を閉めた。
それからジュースやポテト、から揚げなどをもって部屋に行き、思う存分歌った。
時には先輩たちが遊びに来て、閉店後一緒に歌ったりもした。
おかげでずいぶん歌がうまくなった。

残念ながら入って1年ほどでカラオケ店は潰れてしまった。
思い返せばなんと楽しい日々だったことか。
労働の悦びというものを僕が唯一体感した時期である。
あのような職場でもう一度働くことができたら、僕は喜んで労働に身を捧げる。
しかし、あれが本質的に労働と呼べるものかどうかは……疑問である。
posted at 23:43


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エントリー:労働の悦び
2009年03月15日

対岸の火事

兄の勤めている会社で総決起集会というものがあった。
景気が冷え込むと同時に業績が悪化し、倒産の瀬戸際に立たされているらしい。
社員へのボーナスなどなく、30を過ぎた兄の手取りも雀の涙である(僕の収入より少ない)。
すでに会社に見切りをつけ、次の職場を探している社員もいるそうだが、いかんせん就職難でうまくいかないということだ。

つくづくサラリーマンというのはリスキーな仕事であると思う。
いくら忠実に激務をこなしつづけたところで、会社に100%依存している以上、唐突に収入が0になってしまう可能性は常に付きまとう。
何らかの理由で会社が倒れてしまえば一巻の終わりだし、そうでなくても社長様や人事部の指先ひとつで家族までが路頭に迷うわけだ。
完全に生殺与奪を他人に握られている。
業績が悪化すれば個人の努力に関わらず賃金はカットされるが、業績が向上しても給料が一気に増えるわけでもない。
大きな会社に就職すれば安心・安定という神話がいまだに囁かれているが、トヨタだのソニーだのGMだの、どこもかしこもリストラの話でもちきりである。
そして万一リストラに遭ったら、彼らは「会社に裏切られた!」とまたまたテレビの前で悲劇のヒロインを演じる。

他人に使われているのだから、そのくらいの覚悟と準備はしておけと言いたい。
いざリストラとなった途端にぴいぴい騒ぎ出すのはあまりにもみっともない。
法人の平均寿命は20-30年だそうだから、同じ会社にのんびり定年まで勤め続けられるという前提で物事を考えること自体おかしい。
いまだに終身雇用の幻想にしがみついているとすれば、能天気にもほどがある話である。


ネットで自分ひとりの力で稼いでいると、不景気だとか就職難だとか、まったくもって実感が湧かない。
収入は毎月数万円ペースで増加している。
別に朝から晩まで働いているわけでもない。
サラリーマンの苦しみなどすっかり対岸の火事である(つい最近までは僕も似たような環境で働いていたが)。
いつまでも火の中で右往左往している人たちを見ると、こっちへ渡ってくればいいのにとも思うが、どうやら彼らは少しばかり足元が濡れるのが気に食わないようである。

まあ僕の知ったことではないけど。



posted at 01:10


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エントリー:対岸の火事
2009年03月12日

我慢し続けることの意味

誰も彼も我慢して仕事をしている。
法律違反の残業、自己の成長に何ら寄与しないルーティンワーク、理不尽な上司からの圧力、強制される会社への忠誠、異常なまでの他人への気配り、怪物化する顧客……。
もちろん、社会の中で働くのだからある程度の我慢は必要である。
最低限の我慢もできないような人間は小さな子供と一緒である。
しかし、人生の幸福を破壊されかねないような状況をさえ我慢するというのは、はたして誉められたことなのだろうか。
それはもはや怠惰ではないだろうか。

我慢した先に光輝く未来が見えるのなら我慢してもいいと思う。
だが、我慢の果てにたどり着く先が趣味も教養も失った"働く機械"だとしたら、その我慢に意味はあるのか?

一度職場の上司をじっくりと観察してみることをおすすめする。
それは我慢し続けた君の将来の姿だ。
彼or彼女は充足した幸福な日々を送っているか?
それともただ会社のいいなりになって働くだけの哀れな家畜か?
もし後者なら、君は何らかの行動を起こす必要があると思う。
人間性が完全に破壊されてしまう前に。


フロストという人の言葉を紹介する。

「一日八時間忠実に働いて君は最後にボスになり、一日十二時間働くようになれるかもしれない」
posted at 17:47


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エントリー:我慢し続けることの意味
2009年03月08日

立派な人間?

しかし、家畜のような日々を送る人間ほど、自らのことを他人より高い位置にいる立派な人間であると錯覚したがるものらしい。

先に述べた店長は、人間らしいことなど何一つしておらず、長大な労働時間の他に抜きん出たものなど何一つ持たないくせに、よく学生のアルバイトに対して人生についての説教を垂れた。
アルバイトが仕事に弱音を吐いたり、風邪を引いたから休むなどと言ったりすると、すぐに不機嫌になり、
「そんなんじゃ立派な社会人になれないぞ」
と叱るのである。
日々のルーチンワーク以外何一つなし得ない人間が、自分のことを立派な社会人であると思い込んでいることには、ほとほと驚嘆させられたものだ。

また、もう一人の社員であるチーフも同じ種類の人間だった。
ある休憩時間、僕が就職活動をしていないと言うと、彼はさも軽蔑しきったように鼻を鳴らし、次のようなことを言った。
「人間は働くから人間なんだよ。ニートなんて人間の屑じゃねえか」
獣が人の道を語るなど喜劇でしかないが、本人はいたって大真面目なのである。

彼らがどれほど労働の神を崇め奉ろうが彼らの自由である。
しかし人にまでその信仰を押し付けようとするのは勘弁してもらいたいものである。

posted at 21:49


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エントリー:立派な人間?
2009年03月07日

人間の成れの果て

12時間の皿洗いの話をした(実際には12時間半だ)。
しかし、僕が労働を恐れるようになった理由は他にもある。
むしろ、会社に雇用されることを恐れるようになったという方が正しいか。

お盆のような忙しい時期を除けば、アルバイトの僕はそれでも一応週に2-3回は休みをもらえたし、1日8時間働けば家に帰れた。
休みが欲しい日を言えばある程度融通も利いた。
しかし店長やチーフといった社員はどうかというと、もちろんそんなはずはなかった。
彼らは基本的に朝から深夜まで店にいた。
何でもない平日でさえ、一日の労働時間は12-13時間はあっただろう。
土日祝はさらにのびる(残業代0)。
休みは月に2-3日である。
バイトが休んだり正月やお盆などの忙しい時期になればそれさえも失われる。
1日に2時間ほどある休憩も、ほとんど店の休憩室にこもって食事をしたり、うたた寝したりしている。
つまり、彼らの一度きりの人生、そのほとんどの時間は狭い一個のファミレスの中で過ぎ去ってしまうのである。

彼らはテレビも見ないし映画も見ない。
小説も雑誌も漫画も読まない。
社会の動きや世界の問題にも興味がない。
芸術やスポーツを嗜むこともない。
知識の獲得や心身の鍛錬に熱心なわけでもない。
友人や家族との触れ合いもない。
彼らが日々の労働の他になしうることといえば、飯を食うことと煙草を吸うこと、僅かな睡眠を貪ることくらいのものである。
要するに文明、文化というものが全くない。
彼らの痩せ細り萎縮した世界では、労働とそれを遂行する自己の肉体がすべてなのある。

彼らはそうした生活を送ることに疑問を持たない。
会社に労働条件の改善を要求することもない。
他の職場を探すこともしない。
日々、会社が決めたノルマをこなし、決められた賃金を得るために、無表情に汗を流し続けている。
それを定年まで続けるつもりのようである。

恐るべき堕落、救いがたい怠惰。

彼らは人間であることを放棄している。
働き、飯を食えば満足する農家の家畜である。
彼らが奇跡的に掴み取った人間としての生は、企業の経済活動の中で無意味に消費し尽くされるのである。

そんな生き物の姿を間近で一年以上も見せ付けられれば、誰だって働く気力が萎える。
僕はまだ人間を辞めたくはない。
そりゃもっとマシな職場があるというのは分かっているが、例えば12時間の労働が9時間、10時間になったところで、それがどれほどのものだというのだろう。
大同小異である。

ま、1日4時間程度だったら考えなくもないがね。
posted at 11:00


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カテゴリー:日記
エントリー:人間の成れの果て
2009年03月06日

奪われる時間

ファミレスのバイトはあまりにも酷かった。
思えばあの経験が僕の労働嫌いを決定的にした。

1日12時間の皿洗いというものを想像してみて欲しい。
お盆の頃の話である。
昼ごろ出勤すると、三つある巨大なシンクのすべてが汚れた食器で飽和しており、さらに、シンク横のステンレス台にもうず高く皿が積まれているのである。
僕は慌ててコック服に着替え、腕まくりして皿を洗い始める。
ひたすら食器を擦ってこびりついた汚れを落とし、洗浄機に放り込んでいくだけの仕事である。
熱湯を噴き出す洗浄機からはもうもうたる湯気が押し寄せてくるため、夏の洗い場はほとんどサウナと変わらない。
飛び散る湯と迸る汗で、10分もしない間に濡れ鼠である。

皿洗いは重労働である。
工事現場の土方にも劣らない。
茶碗にこびりついた米粒や鉄板の焦げ付きはタワシで渾身の力をこめて擦らないと落ちない。
常に前かがみの姿勢を保たなければならないので、すぐ腰に疲労が溜まる。
ホールの店員は次々と汚れた皿を客席から持ち帰ってきてステンレス台の上に無遠慮に積み上げていく。
ピークタイムには洗浄機の動きが食器の積まれるスピードに追いつかず、僕が持てる限りの力と汗を振り絞って皿や鉄板を磨いても、食器の山は低くなるどころか逆にさらなる高みを目指してむくむくと隆起していく。
スピード上げろと怒鳴られたって、どうなるものでもない。

そんな仕事を12時間である。
休憩は夕方と夜に30分ずつ。
その他の時間は、ずっと中腰で湯気に包まれながら狂ったように皿を擦っているのである。
最初は色々なことを考える。
僕は皿を洗うために生まれてきたのか? 
とか、
資本主義は搾取の構造のもとに成り立つ邪悪なシステムである、
とか、
労働というものは本来人間がやるべきものではない、
とか。

しかし、2-3時間もすると、暑さと疲労でだんだん頭がぼんやりしてきて、本当にただ体を動かしているだけになってくる。
頭に浮かぶものといえば、賄いは何を食べようかとか、休憩室で交わされたくだらない会話とか、そういうどうでもいいものばかりである。
要するに知能が低下しているのである。
物事を深く考えることができない。
疲労や時間の感覚も失われ、自分がどれくらい皿を洗っているのか、あとどれくらい皿を洗えばいいのかということが分からなくなる。
皿と洗浄機と迸る湯だけが世界のすべてになる。

仕事を終えてみればもう深夜である。
起きてから皿洗いしかしていないのに、もう一日が終わっている。
もう何もすることができない。
あとは帰って眠るだけである。
奪われた、という考えが浮かぶ。
僕の一日が奪われた。
僕の貴重な人生の一部が奪われた。

僕は家に帰り、翌日の労働に備えてさっさと床につく。
しかし、疲れているのに眠れない。
キンキンと皿のぶつかり合う音が、耳の中に篭もっていつまでも反響しているのである。
耳をふさいで布団の中を転々としてみても無意味である。
結局ひどく寝不足のまま、次の日も皿を洗うためにファミレスに出勤する。

そんな日々が休みなく1週間続いた。
よくもまああの時辞めなかったものだと思う。
自分の我慢強さに心底感嘆する。
posted at 01:02


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カテゴリー:日記
エントリー:奪われる時間
2009年03月03日

傍観

僕はつい最近まで、大学というところは学問をするところであると信じていたが、実はそうではなかったらしい。
僕が国際政治学を学んでいると言ったとき、知り合いは就職の役にたたないから意味がない勉強だと笑った。
ある文学部の後輩は、就職に不利だから法学部や経済学部に行くんだったと嘆いた。
そのほかにも、僕が就職活動をしないのを見て、両親や親戚は僕を大学にいかせた意味がなかったと大騒ぎするし、教授でさえ、就職しない僕をまるで不良品扱いする(自分の評価に響くのかもね)。
どうやら大学というところは、巨大な職業訓練校に過ぎなかったようである。

大学生は三回生の秋ごろから就職活動に奔走する。
皆、大きな給餌器を探すのに必死で、有名な会社と見ればたちまち目を血走らせてそこへ殺到し、自分の商品価値を声高に叫んでご主人様に気に入られようとする。
試験や面接の結果を知らせるメールに一喜一憂し、内定をもらえばもう人生に勝ったような顔である。
また、万一内定を取り消されようものなら、テレビの前で会社に裏切られたと大騒ぎし、悲劇のヒロインの真似事を始める(いったい会社にどんな幻想を抱いているのやら)。

滑稽千万。

僕はベンチに座ってポッキーでも食べながら傍観していることにするよ。
posted at 20:32


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カテゴリー:日記
エントリー:傍観
2009年03月02日

動物以下

自由な意志の介入が許されない行為は奴隷的行為であり、その存在は動物的存在である。
ただ生存のために働くというだけならアメーバでもできる。

毎日朝早く起きて働き、飯を食い、疲れ果てて眠るだけの日々を送っている人。
そしてそんな生活から抜け出す努力もせず、疑問も持たず、会社のいいなりになって一度きりの人生をすり潰している人。
そういう人たちは人間に生まれてくる必要がなかったと思う。

別にゾウリムシやミジンコでも良かったんじゃないだろうか。
結局やってることは同じなんだから。
posted at 11:00


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カテゴリー:日記
エントリー:動物以下