2009年02月28日

僕はどこまでも自己を正当化する

会社に雇われ、人生の大半を仕事に拘束される生活をしたくないというのは、いまや僕のアイデンティティである。
しかし、だからといって、こういうのと同一視されるのは甚だ心外である。↓↓↓





何が何でも人を労働者に仕立て上げねば気が済まないというコメンテーターの姿勢は確かに気に食わない。
しかし注目すべきは、なんといってもこの快楽児たちの醜さである。
やつらの「働きたくない」には思想がない。
そこにあるのは剥き出しの怠惰である。
知性や文明といった人間を人間たらしめる要素が一切ない。
欲望を抑える術を知らない昆虫紛いの生き物である。

勘違いしてもらっては困るのである。
僕と彼らとの間には、天と地ほどの差がある。
彼らが働かないことには意味がない。
僕は働かないことによって、彼らの数百倍は多くのものを生み出すだろうよ。

多分。

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エントリー:僕はどこまでも自己を正当化する
2009年02月27日

レジ打ち ――その悲しき生態――

昨日の続きである。

ひたすら客に頭を下げ、そのご機嫌を伺う接客業というものをやっていると、魂まで卑屈になってくるものらしい。

僕が働いていた百円ショップにHというアルバイト店員がいた。
勤め始めてからまだ日が浅く、ようやく最初に覚えさせられるレジ打ちをスムーズにこなせるようになったばかりであるが、これまで大きなミスをしたこともなく、店長にも目をかけてもらっていた青年である。
そんな彼にある日災難が降りかかった。
レジを受け持つ彼の前に、肌の黒い気難しそうな爺さんがカゴをもってやってきたのである。
百円ショップであるから、その商品は途方もなく雑多である。
彼は普段どおり、カゴの中に乱雑に散らばっている食品や雑貨を一点、二点と数え始めた。
すると、突然爺さんが目を剥いて怒り出したのである。
勤め始めたばかりで商品の知識も浅い彼は、爺さんがカゴの中に紛れ込ませていた私物を商品として数えてしまったのである。
もちろん彼はすぐに過ちに気づき、頭を下げて謝罪した。
しかし爺さんは許さず、あろうことか拳骨で彼の頭を力いっぱい殴りつけたのである。
爺さんの後ろには何人も客が並んでいたし、レジの周囲にも商品を選んでいる客がいた。
衆人環視の中の暴力である。
知性も道徳もあったものではない。
即刻警察の手で豚箱にぶち込まれるべき腐れ爺である。

たまたま近くにいた店長が、Hが殴られたのを見て慌てて駆けてきた。
本来なら彼は、店の中で乱暴を働いた爺を糾弾しなければならない立場にあるはずである。
しかし彼は、詳しい事情を聞かないまま、怒れる爺の足元にひれ伏さんばかりに頭を下げ、Hの未熟を理由に許しを乞い始めたのである。
義憤に燃える爺の意気はまさに天を衝かんばかり。
「こいつ辞めさせろ」とHを指差して絶叫を繰り返し、再び暴力を振るおうとする気配である。
そして、理不尽な暴力の被害者たるHまでが、泣きそうな顔をして必死に爺に謝っているのである。

こんな馬鹿な話があるかと思う。
真に怒るべきはHのほうである。
いくら店員であるとはいえ、人としての尊厳まで捨てる必要はないはずだ。
怒るべき時は怒らねばならない。
どこまで客にへりくだれば気が済むのか。
卑屈も卑屈、乞食のような卑屈さである。
結局爺は何の罰も受けないまま王者の如く店を去った。
これから先も似たようなことがあれば、彼は店員に暴力を振るうのだろう。
Hと店長は、爺が昆虫的短絡さで働いた暴力に、一種の正当性を与えてしまったのである。
あまりにも無思慮な客への盲目的服従である。
人は労働者になった途端、魂まで奴隷に堕してしまうものなのか。
それとも賃金を得るためには、人としての尊厳まで捨て去らねばならないということか。
なんとも嘆かわしい話である。
まあ、Hって僕なんだけどね。

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エントリー:レジ打ち ――その悲しき生態――
2009年02月26日

自動販売機人間

一年ほど百円ショップで働いていたが、その中で学んだことがある。
日々押しよせて来る大部分の客にとって、レジ打ちをする者は人間ではないということである。
彼らが清算をするときの態度は、とても人間とコミニュニケーションをとるときのそれではない。
金を置き、差し出された商品を受け取って立ち去るまでの間、レジ打ちをする者に対して気遣いや感謝の素振りを見せる者はほぼ皆無である。
万一ミスでもしようものなら、まるでこちらが不良品ででもあるかのように睨みつけてくる。
レシートはいりますかと聞いても返事さえないことが多い。
彼らにとってレジ打ちとは、複雑な動きをこなし、やたら甲高い声で喋る自動販売機に過ぎない。
対等な人間ではないのである。

しかし、そのことを批判するつもりはない。
レジ打ちなど所詮は、機械でも簡単に代替できてしまう作業を、黙々と反復し続けているだけのことである。
一端の人間として見られようなど、土台無茶な話だ。
機械のような人間は機械のようなものとして扱うのが正当な態度というものだ。

ちくしょう、思い出したら惨めになってきたぞ。
posted at 12:00


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2009年02月24日

嫌なものを見てしまった




いつ、どこのものかは知らないが、あまりにもこの国を象徴している映像である。
そんなものに乗らなくても生きていく方法はいくらでもあるはずなのに。



posted at 16:19


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エントリー:嫌なものを見てしまった
2009年02月23日

働いて死ぬ

企業による殺人が横行している。
世間ではそれを過労死と呼ぶようである。
およそあらゆる犯罪の中で、過労死ほど悪質な犯罪はない。
ただの殺人とはレベルが違う。
一人の人間の生、そのほとんどの時間を会社の利潤増大のために職場に監禁し、その持てる体力を限界まで搾り取り、趣味や楽しみに意識を傾けることを許さず、友人・家族とのふれあいを奪い、数年から数十年という長い時間をかけて、その精神と肉体を完膚なきまでに破壊するのである。
死に至る直前の彼らの心にあるのは絶望か、はたまた感受性を失ったことによる機械のような無感動か。
一思いに刃物でグサリとやられるほうが遥かにマシというものだ。

しかも、一人の人間を死に追いやっておきながら、その責任を認めたがらない経営者が多すぎる。
遺族に払う金がそれほどまでに惜しいのだろうか。
そうだとしたらまさしく金の亡者である。
人を騙るのもおこがましい。
それとも、本当に自分に責任はないと無邪気に信じているのだろうか。
救いがたきスポンジ脳。

ま、過労死するまでご主人様の言いなりになって働く従順なポチもどうかとは思うがね。
posted at 04:01


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エントリー:働いて死ぬ
2009年02月22日

僕の人生は僕のものだ。会社のものではない。

1日の時間は24時間しかない。
健康を保つためにはどうしたって6-7時間程度の睡眠は必要だから、1日あたり意識のある時間は17-18時間ということになる。
さらに、人間である以上食事、排泄、入浴などにも絶対に時間を割かなければならないので、そこから1-2時間程度引く。
人間が本来自由に行動できる時間は15-16時間である。

それなのに、毎日8時間も9時間も働かされるというのは、いくなんでも不条理すぎやしないか。
人によってはそのうえ何時間も残業させられるし、通勤時間なども含めればさらに仕事に拘束される時間は延びる。
そんなに働かされていたら、一日24時間あるうち、自分が自由に使える時間というのは、ほんとにわずかな割合しか残らないことになる。
だいたい2割か、3割くらいか?

こんなふざけた話ってない。
一回きりの自分の人生だよ?
たったこれっぽっちしか自分のために使えないなんて、どう考えても理屈に合わないじゃないか。

同様に休みも少なすぎる。
1ヶ月30日あるうち、たった7-8日しか自分のものにならないなんて、まともな感性を持つものなら到底耐えられるものではない。
せめて2日に1回は休みでなければバランスがとれない。
週に1、2回しか休みを寄越さないなんて、会社のやつ、人の人生をなんだと思ってるんだ。
posted at 12:00


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エントリー:僕の人生は僕のものだ。会社のものではない。
2009年02月19日

家畜のプライド

企業に雇われ、労働力を提供するかわりに賃金を得ているということが、この国ではプライドの源となるらしい。
僕が雇われずに自分でお金を稼いで生きていくつもりだというと、大抵の労働者は珍獣でもみるかのように目を丸くして僕を眺め、それから突然重々しい人生の先輩に変貌して、憐れみ諭すように僕の説得にかかる。
彼らは自分が被雇用者であるという事実が嬉しくて仕方ないらしく、優越感に鼻をむずむず動かしながら、会社勤めをすることがいかに道徳的で、合理的で、まっとうであるかをとうとうと述べる。
低賃金重労働で日々奴隷のような生活を送っている者でさえ、そういうときは会社への忠誠心が最大化し、僕のような人間を見下し始めるようである。

まったくもって不可解至極な話である。
なぜ就職していないという理由だけで下に見られなければならないのか。
君たちに人間として僕より優れた部分がどれほどあるというのか。
紙に書いて見せてみろってんだ。
posted at 19:19


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エントリー:家畜のプライド
2009年02月18日

だだをこねる。

こねたところでまるめてみたところできなこはきなこである。

企業に雇用されたくないといくら一人で吼えてみても、現実は何も変わらない。
道行く人に鼻で笑われるのがオチだ。
実際、生きていくためには飯を食わなきゃならないし、暖かい家で寝起きしたいし、人並みに欲しいものややりたいこともある。
別に進んでダンボールの国の住人になりたいわけではないのだ。

親兄弟が飛び切りの資産家で、お金を稼がなくても一生面倒を見てもらえるというのであれば、そういう選択肢もありかもしれないが、残念ながら僕の家庭はそういう状況にはない。
昨年の父の年収は約120万だった。
学生の僕がバイトで稼ぐお金より少ない。
むしろパラサイトされているのは僕の方で、学生ローンや奨学金はすべて親の借金の返済に充てているし、貸したまま返ってこないお金も何十万もある。
僕がコツコツ溜めた学費がある日確認するとすっかりなくなっており、親に問いただしたところ、パチンコと借金の支払いですべて使ってしまったと泣きながら謝られたときは、さすがに唖然とした(まあ部屋に無造作に置いていた僕も無用心だったが)。
おかげで僕は休学中である。
親の脛をかじるニートなんて夢のまた夢。
かじるところなんてありゃしない。

しかし、予期せず訪れたこの休学は、僕にとってはむしろ僥倖だった。
企業に雇われずに生きていく、その具体的な手段を勉強する時間ができたからだ。
もちろんバイトはやっていて、週に40時間みっちりと働いていたが、それ以外の時間は僕の自由だ。
僕はパソコンの前で情報を漁り、色々と試行錯誤を繰り返した。
そして今では、月に20-30万程度の収入を片手間で得ることができるようになった。
むろん、親の借金の半分は僕が肩代わりしているようなものだから、この程度ではまだまだ足らないのだが、それでも収入は毎月右肩上がりに伸びているから、そのうち月収40万、50万となるのも夢ではないだろう。
最近はバイトを辞め、空いた時間をもっぱら読書と勉強(そしてときどき娯楽)に使っている。
百円ショップでいつまでもレジ打ちや袋詰めをしていたって話にならない。
店から一歩離れれば糞の役にも立たない技術だ。
そんなものに限られた人生の時間を費やすなど、馬鹿げている。
青春をドブに注ぐようなものだと思う。
posted at 02:38


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エントリー:だだをこねる。
2009年02月17日

曰く、不可解

日々繰り返される単調な労働。
自由に使えない名ばかりの有給。
常態化したサービス残業。
消耗した体力を回復するためだけに費やされる余暇。
寝に帰るだけの3LDK。
出勤時と退勤時にしか使われない高級車。
二言目には「疲れた」を連呼する唇。
ため息。
あらゆる文化的な楽しみの喪失……。


働き、飯を食い、眠るだけの家畜と同じ日々を送る中で、夢を忘れ、感受性が鈍磨し、生活と刹那的な快楽だけが人生の目的になってしまった哀れな人たちの姿を目の当たりにするうち、いつしか僕は、企業の監督下で行われる労働というものに対して、激しい恐怖を抱くようになった。
一度きりの人生、その大半を赤の他人が経営する企業の生産活動に捧げることができる彼らの精神構造が、僕にはまったく理解出来なかったのだ。
周囲から圧力を受け、一応就職活動もしてみたが、2社受けた時点でやめた。
自分の人生くらい、自分の好きなように使いたい。
でも、会社に雇われていては、どうしたってそれは実現不可能と思えたから。

ねえ、労働以外に何ら価値ある行為をなしえなくなった君。
君は何が楽しくて生きてる?
どうか僕に教えてくれ。

posted at 04:51


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